鳴り物入りで読売ジャイアンツへ入団!後継者として…
阿部慎之助選手は2001年に読売ジャイアンツに入団し、打てる捕手として期待度はかなり大きかったです。
その当時の監督は長嶋監督でした。長嶋監督も阿部選手にとても大きな期待をかけていました。
前任捕手の村田真一捕手も引退間近で、読売ジャイアンツにとっては後継者の捕手を大いに必要としていました。
デビューしたのは2001年の開幕戦、東京ドームでの阪神戦でした。開幕から試合に出してもらって、
チャンスに阿部選手に打席が回って、プロ入り初打席にタイムリーを放ったことは非常に印象的でした。
その姿をテレビでリアルタイムで見ていました。やはり打撃においては前評判どおりだと思いました。
その後のヒーローインタビューでも「先輩たちがつくってくれたチャンスなので何としても期待に応えたかった」というコメントを発していたのを今でも鮮明に覚えています。
そして翌年においては読売の優勝にも大きく貢献し、中心選手的な存在まで成長しました。
夏場において主力が次々リタイアする中、3番という重責を担いました。
そのような圧力にも負けず、サヨナラ打を打ったりして勝負強さを随所に発揮し、「サヨナラしんちゃん」が合言葉となりました。
その時、「しんちゃん辞めてしまうの」と冗談を言っている人もいましたが、なかなか面白いと思いました。
主力が次々とリタイアする中でもこのようなジョークを飛ばせるのは阿部選手がしっかり働いていたので、ダメージはさほど感じていなかったという心の余裕がファンにもあったのではと思いました。
このように年月を重ねて攻守ともに、阿部選手はチームの一番の柱となりました。
一番の要である捕手のポジションに阿部選手がどっしりと座っていたのは大きかったです。
守りだけでなく、とにかく打てることはとても大きいです。おいしい場面で殊勲打を打ったりしてとても頼もしい活躍ぶりが目立ちました。
そして読売巨人軍の精神的支柱に・・・
2001年のオフに村田真一捕手が引退してから阿部選手が中心にマスクをかぶるようになりました。
そして攻守ともに中心的な存在となり、阿部選手抜きでは読売巨人軍は語ることができないです。
2007年から2009年、そして2012年から2014年と3年連続の優勝が2回もあったのは、阿部選手の存在も非常に大きかったです。
いずれにせよ、原監督時代における黄金期は阿部選手抜きではとうてい成し遂げることはできなかったでしょう。
読売ジャイアンツだけでなく、まさに球界全体においても知名度も高いです。
そしてFA権を獲得して動向が注目されましたが、生涯巨人宣言をしてくれて巨人ファンとしては本当に安心したと思います。
今は30代後半でかつての働きは期待できないかもしれないが、1年でも長く巨人にいてほしいと思います。
阿部選手が引退するとき、後継者にある程度目途がついた状態であってほしいです。
そして引退するときは心から「ありがとう、ごくろうさん」というねぎらいの言葉をかけたいです。
<キティちゃんさん 女性>