PL学園では1年から4番打者&エース!清原&桑田以来の
昨年ソフトバンクを戦力外通告になった勧野甲輝選手について述べたいと思います。
勧野甲輝選手は大阪PL学園から2010年ドラフト5位で、闘将星野監督から指名された右の長距離砲です。
勧野選手はPL学園入学時、いきなり一年生の夏から四番を任され、「25年ぶり清原和博以来のPL一年生四番打者」また「桑田投手以来の一年生エース」として全国の話題になった選手です。
高校時代は途中怪我に苦しみ一時はベンチから外され、それでも克服し三年生になってからもPLの柱としてチームを引っ張って来られました。
二年生の春に選抜出場を決め、甲子園に出場したときも西条高校(現阪神~秋山投手)、南陽工業(現阪神~岩本投手)と対戦、
その年の選抜をかけた秋季近畿地区大会も観戦にいったのですが、福知山成美(島本投手、現阪神~桑原選手、現DeNA)とも対戦、このとき島本投手が勧野選手をほぼ全打席敬遠という(あの松井選手が明徳戦で全打席敬遠以来)ことを目のあたりにし、改めて勧野選手の凄さを感じた試合でした。
楽天には打者として入団しましたが、散々な三年間で、二軍の試合でもほとんど出場はなく2年目の50試合位が最高だったように記憶しています。
3年目の大久保二軍監督のときは指導者と合わなかったのか、試合で数試合出場しかなかったように思えます。
私は高校のときから身近に勧野選手を見てきましたので、打球の強さ、投手としても中学生のときから140キロ以上の球速を持っており、素材に関してはもうしぶんない選手と疑いませんでした。
楽天イーグルスを戦力外、ソフトバンクで育成契約で再出発も
楽天を戦力外になり、ソフトバンクの育成選手で再契約。
楽天時とは違い、試合でスタメンで出場することも多く、ホームラン数も細かく調べてみると楽天での3年間はたったの3本、ソフトバンクの2年間で11本と少しずつ本来の持ち味が出てきたように思えます。
ソフトバンクに入団してからの勧野選手はさらに大きくなった印象感があります。
昨年、ソフトバンクから阪神に移籍するとの噂もあったのですが、野球に詳しい関係者から後半怪我のため自由契約になったようです。
しかし、その潜在能力に目をつけていた九州三菱自動車山内コーチ(元南海ホホークス投手、元ソフトバンクコーチ)が勧野選手の獲得をしたと聞き、まだ23歳と若い選手、まだチャンスはあるのではと思います。
高校時代に現ヤクルトの山田哲人選手とライバルとして争った勧野選手、良い指導者と巡り合えば必ず復活する日がくるのかと楽しみにしています。
-元ソフトバンクホークス 勧野甲輝選手:昨年自由契約となった勧野選手は復活するか-
-maokun90 さん 男性-