高校ナンバーワン左腕!東北高校からドラフト1位でヤクルトへ
プロ野球ファンには雄平として知られる、ヤクルトの雄平は、本名高井雄平です。
高井雄平は宮城の東北高校の出身であのダルビッシュの2年先輩になります。
高校当時はピッチャー:高校ナンバーワン左腕として注目され、2002年のドラフトではヤクルトと近鉄から1位指名されました。
投手としては入団一年目から一軍初登板の巨人戦で勝ち投手になるなど、スタートは順調でした。
球速も最速154キロという剛腕投手でした。
しかしコントロールに難があるなど、先発中継ぎを繰り返しても芽が出ず、
2009年打者転向を命じられます。
高井は投手に未練があったのか、打者として再スタートすることに不安もあったのか投手継続を願いましたが、
2009年の秋から野手転向をはかりました。
もう入団して7年の歳月が流れています。
選手生命を賭けた野手転向!努力の末…
2010年、2011年は一軍出場はなく高井雄平の名は聞かれなくなってしまいました。
しかし2軍で打率348厘と好成績を納め、2012年の開幕を野手として初めて1軍で迎える事になります。
この時は登録名も雄平になっていました。
この2012年の秋、2軍から1軍に復帰して外野の一角にレギュラーとして定着します。
しかし2013年飛躍するはずのこの年、シーズン当初の5月に大けがをしてシーズンを棒に振ってしまいます。
雄平のプロ野球人生は苦労人と言えます。
投手としての栄光と挫折、野手への転向は並々ならぬ決意と、泥にまみれた練習があったことは間違いないでしょう。
その間沢山の同僚、後輩が活躍したり引退していったことでしょう。
雄平は非常に練習熱心で、その姿勢が野手への転向を成功させたものと思います。
やはりひた向きに努力する選手を監督、コーチはよく見ていたということでしょうか?
遅咲きの雄平は今やヤクルトの強力打線の中軸の一角です。
小柄な体ながら、フルスイングで豪快な打球を飛ばします。こうした遅咲きの苦労人、諦めない選手に大活躍してもらいたいです。
<メタボの野球好き さん 男性>